今回から数回にわたって取り上げる「漁業という日本の問題」は2012年に勝川俊雄さんによって著された本です。

刊行から13年目となる2025年現在ですが、残念ながら今なお同じ問題、というよりさらに悪化した状況になっています。
仕事がら漁業に関心がありいくつか本を読みましたが、今のところ本著が一番腑に落ちたので紹介したいと思います。
日本人は魚好きか?
「魚離れ」という言葉が最初にメディアに登場したのは、1976年の朝日新聞です。
もう50年近くも前ですが、それより以前はもっと魚を食べていたのでしょうか?
「食糧需要に関する基礎統計(1976)」によると、明治時代の日本人は年間3.7kgしか魚を食べていなかったようです。
一部の漁村を除いて多くの農村ではハレの日に鯛を食べるくらいで、現代人の15%ほどしか魚介類を食べていなかったのです。
戦後の肉や卵の不足と冷蔵庫の普及によって徐々に魚食の量が増え、ピークの2001年には40kgを超えます。

実際には魚離れと言われた1976年から四半世紀もの間、水産物の消費量は増え続けていました。
食べる魚の変遷
食べる量は増えましたがその中身はどうでしょうか?
1960年代まではほとんどが国産魚でしたが、1970年代より輸入が増え2000年には逆転します。

この間に増加していた国産魚の内訳も、1960年までは幻の魚と言われていたマイワシの記録的な豊漁のおかげでした。
実はマイワシ以外の国産魚はすでに1970年代より減り続けています。

2030年には0となるペースで激減しており、頼みの綱の輸入魚もバブル崩壊や海外での魚人気によって2002年以降は減少に転じています。

※宗田節ブログのグラフは本書と同じ情報源ですが、最新のデータを反映しています。
本書のデータが2000年代後半まで、宗田節ブログのデータが2022年までのものです。





宗田節ブログでは、年によって変化が大きいマイワシの影響を無視して回帰直線を引いてみました。
マイワシ込みの本書より漁獲量0となる予想が8年伸びていますが、いずれにせよそう遠くない未来です。
現代の魚消費量の減少の直接の要因は輸入魚の減少であり、その根底にあるのは国産魚の減少なのです。
つまり消費者の魚離れではなく、食べたくても食べられないというのが現実です。
日本の漁業政策
この間、日本政府はどうしていたのでしょうか?
1950年代は「沿岸から沖合へ、沖合から遠洋へ」のスローガンを掲げ、どんどん海外の庭先漁場まで航海して漁獲していました。
しかし各国が自国の漁業水域を主張し、ついには国連で排他的経済水域(EEZ)が制定され終わりを告げます。
続いて1970年代からは「とる漁業からつくる漁業へ」として養殖に力を入れていきます。
現在でも対外的には日本の養殖事業は成功していると言われていますが、筆者はビジネスとして破綻していると断じています。
養殖はエサを与えるか与えないかによって大きく2つに分けられます。
このうちエサがいらない無給餌養殖は安定成長が見込まれていますが、問題はエサが必要な給餌養殖です。
無給餌養殖 | コンブ・ノリ・ホタテ・カキ | 安定成長見込み |
給餌養殖 | 魚・イカ・エビ・カニ | エサが大量に必要 |
エサとして使用されるのは海外産の魚粉でブリを1kg育てるのに5〜9kg必要とされ、マグロに至っては1kgあたり15kgものエサが必要です。
魚粉の元となるのはサバやイワシなどの天然魚なので、円安や海外需要の増加で経営的に厳しいのは想像に難くありません。
2025年2月2日にはマルハニチロやニッスイ、極洋が手掛けるクロマグロの完全養殖が採算悪化により撤退するというニュースが流れました。
これは上述の筆者の持論や、今後のブログで言及する筆者の推奨する資源管理の方法もからんだ結果となっています。
また種苗放流としてヒラメやマダイの稚魚もたくさん放流してきましたが、漁獲量に変化は見られないようです。
EEZが制定され、養殖魚も先行きが厳しく、種苗放流も結果が伴わず、輸入魚にも頼ることができない。
今後も日本人が魚を食べるためには国産魚の自給自足が不可欠であり、そのための国家戦略の構築が急務となっているのです。
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