鰹節が文献に初登場するのは1513年の「種ケ島家譜」のなかである。
「かつほぶし」が臥蛇島(がじゃじま)より領主の種ケ島氏へと貢納されたと記されている。
臥蛇島は近ごろ群発地震の発生している鹿児島県のトカラ列島内にあり、現在は無人島となっている島である。
(出典:鹿児島県十島村ホームページ)
なぜ突如としてこの島より鰹節が誕生したのか?
実際は現存している最古の資料というだけで誕生の地ではないかもしれないが、現在の所は他に証拠がないのでそうするしかないだろう。
そもそも何をもって鰹節なのか?
前回の神話時代のカツオ編をご覧いただいた方の中には「煮堅魚」は鰹節じゃないのか?と思われる方もいるかもしれない。
だが煮堅魚と鰹節の間には大きな違いがある。焙乾(ばいかん)工程の有無である。
焙乾法の発明が鰹節の誕生と直結するのである。
鰹節の語源も、
「カツオを燻す→カツオイブシ→カツオブシ」
という説があるほどで、焙乾工程は現在においても鰹節製造の肝である。
回答が前後したが、臥蛇島で鰹節が誕生した理由はその焙乾が行われた背景と重なる。
臥蛇島は黒潮の激流のただ中にありカツオは豊富に釣れるが、海が時化て長い間とれなくなることもありその他に食料も少ない。そういうときの保存食として囲炉裏の上に平籠を吊るして、たくさんとれたカツオを焙乾する習慣が生まれたのである。
本土において鰹節が製造され始めるのはこれよりさらに百年ほど後となる。
鰹節の登場が日本食に与えた影響は大きく、それまで千年以上の長きにわたって調味料として重用された堅魚煎汁(かつおのいろり)にとって代わった。
日本食の歴史を遡ってみれば、魚という古来より変わらぬ海の幸に対し、在来の山の幸はドングリやクリ、クルミなど簡素なものであった。
現代の典型的な日本食のイメージである御飯、味噌汁、漬物、煮物などの素材はなく、すべて縄文時代晩期以降に大陸より伝来したものである。
日本食の歴史を川に例えてみると、絶えず流れ込む山の幸側の支流に対して、ほとんど変化のない海の幸側の支流に久しぶりに流れ込んだのが鰹節だったのである。
鰹節の登場と前後して、すでに多用されていた昆布と合わさりうま味をもたらす「だし」が生まれ、さらには味噌や醤油も登場し日本食は古代から近代の味覚へと転換することになる。
次回、実は鰹節誕生の地は日本ではなかった!?
さらなる鰹節の源流へ!
(参考文献:宮下章.鰹節上巻.日本鰹節協会、1989)
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